2019年10月30日更新
最近の海外勤務者の動向
海外勤務者の健康問題
海外滞在中は特有の健康問題があるため、国内で生活している時に比べて健康上の訴えが多くなります。
福島らが2006年に発展途上国に長期滞在する日本人(1275名)の健康状況について調査を行ったところ、対象者の66%が健康上の訴えを持っていました²⁾。これは日本国内に比べて倍近く高い数値です。また、濱田らが2015年にインターネット調査会社のモニター(1000人)を対象に行った調査によれば,海外出張中にみられた健康問題としては、「下痢」(15%)、「風邪」(9%)、「便秘」(7%)、「時差ぼけ」、(7%)、「不眠」(6%)などが多くあげられました³⁾。
海外滞在中に発生する健康問題は、滞在先の環境の変化に起因するもので、「自然環境の変化」「衛生環境の変化」「ライフスタイルの変化」「医療環境の変化」の4つのカテゴリーに分類されます。
【1】自然環境の変化による健康問題
・航空機内で発生する疾病
ほとんどの海外勤務者は航空機を利用します。航空機内の気圧はやや低下しており、酸素分圧も20%近くまで低下しています。健常者はこのような気圧下でも問題はありませんが、呼吸器疾患や貧血症の患者は低酸素血症に陥りやすく、また虚血性心疾患の患者は発作をおこす危険性があります。こうした患者は搭乗中の酸素使用を検討すべきです。
航空機内の湿度は20%以下と大変に乾燥しており、咽喉や鼻粘膜が傷害され、カゼをひきやすくなります。また脱水に陥り、起立性低血圧の発作をおこすこともあります。さらに、乾燥した機内で長時間の座位をとっていると、旅行者血栓症をおこすこともあります。航空機内では水分を多めに摂取することが大切です。
・気候の変化による疾病
熱帯や亜熱帯地域では,高温多湿の気候により熱疲労や脱水を起こすことが多くなります。とくに降圧剤を服用中の患者は発汗が抑制されやすいため、注意が必要です。湿度の高い気候では、汗疹や白癬症などの皮膚疾患もしばしばみられます。乾燥した気候では,上気道炎やアレルギー性鼻炎等の呼吸器疾患が頻発します。近年は、途上国の都市部で大気汚染が深刻化しており、これも呼吸器疾患が増加する一因になっています。
・時差ぼけ
海外出張時に特徴的な健康問題として「時差ぼけ」があります。これは生物時計と生活時計のずれでおこり、睡眠障害や作業能力の低下がみられます。時差が4~5時間以上ある地域に移動した場合におこることが多く、とくに東方への移動(日本から米国への移動など)で症状が強くなります。時差ぼけの対策としては、到着後、出来るだけ現地時間に合わせた行動をとることが大切です。現地時間の夜にあわせて4時間以上の睡眠をとると時差が解消されるとされています。睡眠障害がある場合は、松果体ホルモン受容体作動性の眠剤(ラメルテオン)が有効とされています。
・高山病
高山病とは標高2500m 以上の高地に滞在した際におこる疾病で、初期には頭痛や不眠、悪心をおこし、重症化すると肺水腫や脳浮腫を合併し死に至ることもあります。標高3000m 以上では約40%の人が本症を発症するとの報告もあります⁴⁾。最近は南米などの高地に業務で滞在する者も増えており、高山病についても予防対策をとる必要があります。まずは、高地に到着後少なくとも翌日までは過密な日程を組まないことです。また、水分を多目に摂取し、炭水化物に富む食事をとると予防効果があります。一方、アルコールの飲用や寒冷は本症の誘引となります。なお、高山病の予防には利尿剤のアセタゾラミドの服用が有効とされています。高山病を発病した場合は安静にし、可能な限り高度を下げることが最も有効な治療法になります。
【2】衛生環境の変化による健康問題
海外でも途上国では、衛生状態や気候の影響で感染症が日常的に流行しており、海外勤務者が罹患するケースもしばしばみられます。以下に、リスクのある感染症を感染経路別に紹介します。
・経口感染症
飲食物から経口感染する旅行者下痢症、A型肝炎、腸チフスは、途上国ではいずれの地域でも高いリスクになります。旅行者下痢症は1ヶ月間の途上国滞在で渡航者の20~60%に発症するという調査結果もあります⁵⁾。旅行者下痢症の病原体については、毒素原性大腸菌、サルモネラ菌、カンピロバクターなどの細菌が多いことが明らかになっています⁶⁾。経口感染症の予防方法は飲食物への注意が基本で、ミネラルウオーターや煮沸した水を飲用すること、食品はなるたけ加熱したものを摂取することなどの注意をします。また、旅行者下痢症については、軽い下痢止めを(整腸剤など)を持参し、症状があれば服用するよう指導します。ただし、高熱や血便のある場合は下痢止めを服用せずに、医療機関を早めに受診することが必要です。
・昆虫媒介感染症
蚊が媒介する感染症としてはデング熱とマラリアが重要です。デング熱は東南アジアや中南米で雨期に流行が発生しており、日本からの渡航者の感染例も数多く報告されています。マラリアの流行は、アジアや中南米では特定の地域に限定されており、感染リスクは低くなっていますが、熱帯アフリカでは都市部を含む国内全域に流行がみられます。
デング熱やマラリアの予防には、蚊の吸血を防ぐ対策を指導します。屋外では出来るだけ長袖、長ズボンを着用し、皮膚の露出を控えることが大切です。その上で皮膚に昆虫忌避剤を塗布します。なお、マラリアの感染リスクが高い地域への渡航者には、薬剤の予防内服が推奨されており、日本ではマラロンやメフロキンが予防薬として販売されています。
・性行為感染症
性行為で感染する梅毒、B型肝炎、HIV感染症などの疾患は、渡航者の現地での行動パターンによりリスクが高くなります。また、途上国の一部の医療施設では、注射器など医療器材の再利用が行われており、院内感染としてB型肝炎やHIV感染症に罹患するリスクもあります。
・動物媒介感染症
動物から感染する狂犬病も海外では注意すべき感染症です。海外の流行地域ではイヌなどの動物に安易に近寄らない注意をするとともに、動物に咬まれた場合は、狂犬病の発病を予防するためのワクチン接種が必要です。
【3】ライフスタイルの変化による健康問題
・生活習慣病
海外出張を繰り返すケースでは,食生活が不規則になったり、酒量が増えたりすることで、生活習慣病の罹患や悪化をきたす事例が少なくありません。また、海外出張中の行動は日常よりも過重になる傾向があり、その結果、生活習慣病に由来する心血管系の疾患などがおこりやすくなります。
海外駐在員については生活習慣病に罹患する頻度が,先進国,途上国にかかわらず高くなります。これは,海外での食事が一般に高カロリー,高脂肪であることや,海外での生活が車社会であるため,運動不足に陥ってしまうことに由来します。さらに、生活習慣病を治療中のケースでは,治療が中断されコントロール不良となることも少なくありません。
・メンタルヘルスの障害
海外駐在の開始時は様々な環境変化を短期間に経験することになります。こういった変化にうまく適応できないと、メンタルヘルスの障害がおこりやすくなります。海外では身近に相談できる友人や同僚が少ないことも、メンタル不調の原因にあげられます。松永らが2015年に都内の海外派遣企業を対象に行った調査(対象数:155社)では、半数の企業が駐在員のメンタルヘルス障害の事例を経験していました⁷⁾。さらに、こうした企業の多くは駐在員を帰国させる対応をとっていました。
海外出張者の健康管理対策
最近は海外出張が日常的な行動になっているため、日頃から社員への健康教育の一環として、旅行者下痢症や時差ボケなど海外出張中に多い健康問題に関する情報を提供しておくことが大切です。また、生活習慣病を抱えている社員については、定期健康診断の事後措置として、海外出張する際の注意点を指導しておくようにしましょう。さらに、途上国への出張が多い社員には、A型肝炎などリスクの高い感染症への予防接種を実施しておくことを推奨します。
・海外出張中の医療機関受診
出張中に現地の医療機関を受診する場合は、海外旅行保険のコールセンターに連絡し、滞在先の提携病院の紹介を受ける方法が推奨されています。提携病院の中には加入者にキャッシュレスで医療を提供してくれる施設もあります。こうした医療機関の紹介を受けるためだけでなく、現地で医療費を支払う手段として、出張中は海外旅行保険に加入しておくことが必要です。
・海外出張者の過重労働
海外出張者は出張前の準備や帰国後の事務処理などで多忙になり,過重労働をまねくことが多くなります。某精密機器メーカーでおきた社員の過労死にともなう行政訴訟では、海外出張という質的な面から過重労働とみなす判決もでています⁸⁾。こうした事例の再発を予防するためには、海外出張の多い社員を定期的にチェックし、時間外労働時間が規定の時間数に達していなくても、産業医による過重労働面談などを積極的に実施する必要があります。
海外駐在員の健康管理対策
海外駐在員は健康問題に対処するためには、派遣の時期に応じた健康管理体制を構築すると効果的です(図3)。
・駐在員の選定(派遣可否判定)
駐在員の選定にあたっては、定期健康診断の結果などを参考に、心身ともに健康な者を選ぶのが原則です。もし慢性疾患をかかえる者が候補になった場合は、その疾患の重症度や、現地で国内と同様の医療が受けられるか否かが、派遣可否の判断材料になります。なお、慢性疾患を抱える者の中には、日本の医師による遠隔的な治療を受けながら、海外に滞在しているケースもあります。こうした場合は駐在員を定期的に一時帰国させ、日本の主治医を受診させることが必要です。
・健康診断
派遣前の健康診断は労働安全衛生規則45条2に定める項目に準拠して行います。この法律では、業務形態(駐在,出張)にかかわらず、海外に6カ月以上滞在する者への健康診断の実施を事業主に義務づけています。中高年の駐在員の場合は人間ドック的な検査項目も追加し、生活習慣病や悪性腫瘍の早期発見に努めることが大切です。
帯同する家族については、事業主が健康診断を実施する義務はありませんが、配偶者に関しては、駐在員本人と同様の健康診断を実施することを推奨します。
海外派遣前の健康診断では、検査から出国までの期間が短いため、再検査や精密検査が時間的に困難になるケースがあります。こうした事態を避けるため、健康診断は出国の1ヶ月以上前までに行うようにしましょう。
・情報提供
派遣前には滞在する地域の健康問題や医療機関の情報などを提供しておくようにします。海外の医療情報はインターネットから入手できます(表1)。情報提供の方法としては講義や印刷物の配布などがあります。自社内での実施が難しい場合は、日本在外企業協会など公的機関が発行している教材の利用も検討しましょう。
携帯医薬品に関する情報提供も大切です。海外の薬局で市販されている薬剤は、一般に含有量が多かったり、偽薬が流通していたりすることもあり、風邪や下痢など頻度の高い疾病に関しては、日本から使い慣れた薬剤を持参するように指導します。
表1.インターネット上の海外医療情報サイト
サイト名 | URL | 特徴 |
---|---|---|
厚生労働省検疫所 | https://www.forth.go.jp/index.html |
国別の感染症流行情報・推奨予防接種情報 国内のトラベルクリニック情報 |
外務省海外安全 ホームページ |
https://www.anzen.mofa.go.jp/kaian_search/index.html | 海外感染症流行情報 |
外務省 世界の医療事情 |
https://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/medi/index.html | 海外医療機関情報 |
海外邦人医療基金 | http://jomf.or.jp | 海外医療機関情報 |
東京医科大学病院 渡航者医療センター |
http://hospinfo.tokyo-med.ac.jp/shinryo/tokou/ | 海外感染症流行情報 |
日本小児科医会国際部 | https://www.jpa-web.org/about/organization_chart/international_committee.html | 国別の小児予防接種情報 |
日本渡航医学会 | http://jstah.umin.jp/ | 国内のトラベルクリニック情報 |
海外旅行と病気 | http://www.tra-dis.org/ |
海外旅行中の病気の解説 eラーニングによる健康教育ツール |
海外勤務と健康 | https://www.bis-heal.org// | 海外勤務者の健康管理に関する教育ツール |
・予防接種
感染症の予防のためには,派遣前の予防接種が重要な対策です。接種するワクチンは、滞在地域、滞在期間、滞在中のライフスタイルなどの情報をもとに選択します。詳細については表2をご参照ください。なお、途上国に滞在する場合は,複数のワクチン接種を行うことが多く,派遣の1か月前までには接種を開始することが必要です。
小児を帯同する場合、定期接種をどのように継続するかが問題になりますが、一般的には、滞在国でその国のスケジュールに従って接種を続けるように指導します。なお、海外で定期接種を続けるためには、今までの接種記録を英訳して持参することも必要です。
表2.海外勤務者(成人)に推奨する予防接種*
ワクチン名 | 滞在期間 ** | 対象となる滞在地域 | とくに推奨するケース | |
---|---|---|---|---|
短期 | 長期 | |||
A型肝炎 | ○ | ○ | 途上国全域 | 衛生状態の悪い環境に滞在する者 |
黄熱 | △ | ○ |
熱帯アフリカ 南米 |
入国時に接種証明の提出を求める国に滞在する者 (詳細は厚生労働省検疫所のホームページを参照) |
破傷風 | △ | ○ | 全世界 | 外傷を受けやすい者 |
狂犬病 | △ | ○ | 途上国全域 | 動物咬傷後の接種が受けにくい地域に滞在する者 |
腸チフス (国内未承認) |
△ | △ | 途上国全域 | 南アジア(インドなど)に滞在する者 |
B型肝炎 | ○ | 途上国全域 | 医療関係の仕事で滞在する者 | |
日本脳炎 | △ |
中国 東南・南アジア |
農村部に滞在する者
(媒介する蚊に吸血されやすい) |
|
ポリオ | △ |
南アジア アフリカ |
1975~1977年生まれの者 (この世代は小児期のワクチン効果が弱いため) |
|
髄膜炎菌 | △ | 西アフリカ |
乾季に滞在する者 (乾季は大流行がおきるため) |
|
ダニ媒介脳炎 (国内未承認) |
△ | ロシア、東欧、中欧 |
野外活動する機会の多い者 (媒介するマダニに吸血されやすい) |
|
麻疹 | △ | 途上国全域 |
1970~1990年生まれの者 (この世代は小児期のワクチン効果が弱いため) |
*〇:推奨、△:状況により推奨
**短期:1カ月未満、長期:1カ月以上
・駐在員の医療機関受診
海外に長期滞在する場合は、一般医(general practitioner、family doctor)を「かかりつけ医」にすることが推奨されています。病気になった時は、かかりつけの一般医を受診し、必要に応じて専門医に紹介してもらうようにします。日本で慢性疾患などにより経過観察や治療を受けているケースについても、まずは一般医を受診し、そこから専門医を紹介してもらう方法をとります。滞在先の医療機関や医師の情報は、外務省や海外邦人医療基金のホームページ(表1)などから検索することができます。
海外で安心して医療を受けるためには,医療保険への加入が欠かせないものです。先進国では現地の公営か民営保険,途上国では海外旅行保険で支払うのが一般的です。また、日本の健康保険の中には、海外で支払った医療費の一部を還付してくれる「海外療養費制度」を設けている場合があります。
・海外滞在中の健康管理
海外滞在中に健康問題が発生した際の対処方法として,電話やe-mailによる国内への医療相談体制を構築しておくと効果的です。この方法はメンタルヘルスの対応において特に効果を発揮します。
海外駐在中の社員には、労働安全衛生法で規定される定期健康診断を実施する必要はありませんが、安全配慮義務という観点から、少なくとも年に1回は定期健康診断と同等の検査を受けさせるべきです。
・帰国後の対策
帰国後には労働安全衛生法に規定された健康診断を実施します。途上国に滞在した者が帰国後に発熱や下痢などを起こした際には,海外の感染症を念頭に診療にあたることが必要です。
海外勤務者の健康管理における今後の課題と展望
最近の海外勤務者の健康管理対策については、健康問題の多様化や、対策面において専門的知識が要求されるなどの変化が生じており、中小企業だけでなく大企業であっても適切な対応が困難な状況になっています。さらに、海外出張者の対策については企業規模にかかわらず実施されておらず、国や公的機関などによるバックアップが必要な状況にあります。
こうした状況を改善させるため、海外勤務者の新たな健康管理対策システムとして、海外派遣企業が外部の医療資源を活用する方法を検討すべきではないかと考えています。現在、私たちが提唱しているのは「労働者健康福祉機構・産業保健総合支援センター」と「トラベルクリニック」の2つの外部資源を用いた健康管理対策システムです。具体的には、日本各地の「産業保健総合支援センター」が企業の担当者や海外勤務者からの相談窓口になるとともに、健康管理対策の支援を行う方法です。さらに、これと連携した「トラベルクリニック」が海外勤務者に診療を提供するというシステムです(図4)。
是非、このシステムを海外勤務者の健康管理にご活用ください。
参考文献
1)大塚優子 他:海外勤務者における現地医療機関受診状況の調査.日本職業・災害医学会会誌 59:69, 2011
2)福島慎二 他:2006年度海外巡回健康相談報告~途上国に長期滞在する日本人成人の有 訴率と通院者率.日本職業・災害医学会誌 59:225, 2011
3)濱田篤郎 他:海外勤務者の健康管理.産業医学レビュー. 28:157, 2016
4)Honigman B, et al: Acute Mountain Sickness in a General Tourist Population at Moderate Altitudes. Ann Intern Med. 118:587-592. 1993
5)Steffen R, et al.: Health risk among travelers- Need for regular updates. J Travel Med. 15: 145-146, 2008
6)濱田篤郎:海外旅行者の下痢への対応. 日本医師会雑誌. 139: 1057-1060, 2010
7)松永優子 他:海外赴任時のメンタル不調と企業の体制.日本渡航医学会誌 10S:65.2016
8)中村博.多数の海外出張をともなう過労死と業務起因性.産業保健 57:19.2009
相談員 濱田篤郎